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小説『蜜蜂と遠雷』(恩田陸)雑感 [読書]

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恩田陸の小説はずいぶん前に『光の帝国(常野物語 )』を読んで、その不思議な世界観に惹き込まれた覚えがある。また、2004年に本屋大賞を受賞した『夜のピクニック』を読んだくらいである。「夜ピク」は自分の高校にも似たような行事があったので読んだのだが、80kmを歩き通すだけというある意味地味な行事の中に様々なドラマが語られていて、その構想力・筆力に驚かされた。高校の愛称が「北高」だったのにも親近感を覚えたのかもしれない。

蜜蜂と遠雷』は二度目の本屋大賞と直木賞のダブル受賞ということで、読んでみようと思った。ピアノコンクールを描いた作品なので、門外漢にはとっつきにくいのかなとも思ったが、ピアノの楽曲に詳しくない人でも大丈夫ということなので。図書館には10冊ほどあったが全て貸し出し中だったので(350人の待ちだと後で知った)、ふと思いついて受賞作掲載の「オール読物3月号」を借りてみた。確かに載ってはいたが、「~抄」とあって、???と思って読んでいくと100頁までで終わっていた(笑)。やはり芥川賞のようにはいかないなあと思い知らされた。二週間経って待ちきれずBook off で買ってしまった。Book offでも人気作は結構な値段になるんだなと初めて知った。
初出の雑誌挿絵。
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前置きが長くなってしまったが、物語は「芳ヶ江国際ピアノコンクール」(「浜松国際ピアノコンクール」がモデルらしい)の初めから本選に至るまでの10数日を描いたものである。と書くとこれが小説になるのだろうか、と思ってしまうのだが、主に四人の才能あるピアニストに焦点を当て、彼らのコンクールに至るまでの生育歴や師匠・家族との関わりなどがフィードバックされ、重層的な物語となっていた。雑誌で100頁読んだ後、続きが読みたいのを我慢していたせいか、買った後は一気に読んでしまった。小説の中でも誰かが言っていたが、甲子園で一番面白いのは準々決勝だというのと同じく、二次予選ぐらいが一番面白かったように思われた。主人公達がコンクールの中で変化し、成長していくさまが読み取れるからだろう。
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曲が演奏される場面の描写もまた素晴らしかった。曲を知らなくても(知らないからこそ?)曲想が目の前によみがえってくるような気にさせられた。作者は言葉で音楽を演奏しているのだと思った。いくら取材を重ね、実際のコンクールを何度も聴いたとしても、ここまで再現性のある描写は出来まいと思って読んでいたが、調べてみると作者自身引越しの多かった幼少期の環境の中で「ピアノを習い、広く音楽を知る先生に学び」また大学では「ビッグバンドでアルト・サックスを演奏」(wiki)していたと知って、なるほどとうなずけるものがあった。そうした作者の体験・素養は作中の随所に反映されているように思われた。
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クラシック音楽について語れる何ほどのものも持ち合わせてはいないのだが、このようなコンクールにおいては特に、作曲者の意図を探り、それを忠実に再現しなくてはならないと考えられているようだ。そこから逸脱すると評価が下がったり、下手をすると失格になったりする。だが、音楽とは本来そういうものではないのではないか、という疑問がこの作品の基底に流れている。この世界、自然の中は様々な音(音楽。蜜蜂の羽音や遠雷の響きのような)に満ち満ちていて、古今の天才たちはたまたまそれを譜面に書き留めただけに過ぎない。後世の解釈によってがんじがらめになっているクラシック音楽の「音を外へ連れ出」さなくてはならないのではないか。

それを最も体現しているのが「蜜蜂王子」こと風間塵という自然児であり、彼に触発されて残りの3人も自分の殻を破っていく。もともとそのような資質があったからだろうが、彼らが身をよじるように自らの旧い殻を脱ぎ捨てていく過程はいじらしくも美しい。自分のような凡庸な人間にもいくつかは思い当たることもあって、読んでしまったらまたBook off にと思っていたが、もうしばらく手元に置いて、ところどころ読み返してみようかな、と思ったことだよ。
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小説に併せて音楽集CDも出ているが、youtube にも小説登場順のプレイリストが上げられているのが、この小説の人気を何よりも物語っているようだ。
youtube 蜜蜂と遠雷(本文登場順)



蜜蜂と遠雷


蜜蜂と遠雷 音楽集


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ノンフィクション『みんな彗星を見ていた』雑感 [読書]

『みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記』
                星野 博美 (著)

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3か月前、映画沈黙ーサイレンスー』を観た。原作を読んでから40年経って、改めて日本におけるキリスト教受容のありようについて考えさせられたが、分からないことも多かった。その後BSの「英雄たちの選択『悲劇のキリシタン弾圧~大人になった天正遣欧使節の決断~』」という番組をたまたま観て、あの教科書でもよく見る「天正遣欧使節」が帰国した後の運命についてやっていて、彼らが苦難の旅の末渡欧して、ローマ教皇に謁見したところまでしか知らなかったので、彼らが帰国した時すでにキリシタン弾圧が始まっていて、四人がそれぞれ数奇な運命をたどったことを知り驚いた。その中で座長の磯田道史さんもさることながら、星野博美さんの発言が妙に実感がこもっていて興味を惹かれた。
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そこで星野さんについて調べてみると、写真家でノンフィクション作家とあり、2015年に標記の作品を上梓したとある。この作品が縁で番組に呼ばれたのだろうと思った。462頁もある本なので買うのをためらっていたが、図書館にあったので借りてみた。表題に「私的~」と書いてある通り、学術論文的ではなく、自分のミッション・スクール体験、出自である房総半島東岸の岩和田にドン・ロドリゴというスペイン人が難破上陸した時の交流、そして遣欧使節が秀吉の前でリュートを演奏していたらしいということからリュートを習い始め…、というように自分の体験と重ね合わせながら、当時のキリシタン迫害の実像に近付いていく、という描き方であった。
千々の悲しみ 天正遣欧少年使節の奏でた曲をリュートの演奏で。「伊東マンショ」の肖像画が。
https://www.youtube.com/watch?v=wKHxGwrqy-w

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自分がこの方面に疎いこともあって、またそれぞれのエピソードと史実との結びつきがやや本人の思惟の中でのそれなので分かりにくいというのもあったためか、惹き込まれながらも一気に読むことが出来ず、何度も借り直して2か月かかってやっと読了することが出来た次第。まあ、他にもやることがいっぱいあったからなあ、と言っても自己弁護でしかないが。実際には一世紀も続いたという日本のキリシタン史(もっと短いかと思っていた)について詳しく言及できるほど読み込めていないので、いくつか気になった点だけあげておきたい。
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私達がよく知っているのは、ザビエルをはじめとするイエズス会の活動だろうが他にフランシスコ会やドミニコ会などの托鉢修道会も存在していて、むしろこちらの方がより禁欲的で常に裸足で歩き布教をして、キリシタン達の崇敬を集めている部分もあったようだ。先ごろ高山右近が「福者」の認定を受けたことが話題になったが、スペイン・ポルトガルの司祭達ばかりでなく、多くの日本人殉教者達も福者として認定されている。殉教の定義としては、異教徒の迫害に耐えて刑死するなどの基準があり、その結果極東の国日本が最も殉教者の多い地域になったというのは、異教徒による迫害が歴史的にも世界の中で最も多かったからだということには驚いた。
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日本人キリシタンの信仰が偶像崇拝に近いものでカトリックの教義と違うとの指摘も当時あったようだが、司祭達が殉教を強く望み、殉教の様子はつぶさに記録され、遺体や着衣などは聖遺物として本国に持ち帰り崇敬の対象となるという。「聖遺物」といい「奇跡」といい、それらが日本人キリシタンの「偶像崇拝」とどれだけ違うのかは私には分からない。遠藤周作が言うように日本人はどんな宗教でも日本的に解釈して、本来の宗教から乖離してしまうのだろうか。

この本を読んで、以前考えていたより当時のキリシタン達の宗教的情熱は激しいものだったと知った気がする。そして、その情熱が独裁的為政者である家康(江戸幕府)の支配を超えてしまうと考えたとき、弾圧は激しくなったのかもしれない。秀吉も家康も初めは司祭達を追放すれば事態は収まるだろうと考えていたようだから。その後檀家制度で日本の宗教は実質的に根絶やしにされる。現代においても、「うちは~宗だから」というように、それがかつて機械的に割り当てられたものだということを忘れたかのように受容しているように見える(現代人は無宗教だからという見方もあるが)。それはキリシタン弾圧以降連綿と続いている宗教的・政治的に骨抜きにされた日本人の心性となっているかもしれないと考えると恐ろしい気もする。

おそらくそれと平行して確立された、江戸幕府のがんじがらめの官僚制度(それは明治期から戦後まで続く)と併せて、「お上には逆らわない」という従順な大衆を作り出しているとすると、それは戦後70年の今の日本の状況そのものであると言っていいのかもしれない。読みこなせていないまま、やや妄想的な感想を書いてしまったが、戦前・戦後を通じてなんら変わらないようにも見えるこの国の精神風土を顧みるとき、この「キリシタンの一世紀」についてもっと考えていく必要があるのではないか、と思ったことだ。


みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記


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小説『スクラップ・アンド・ビルド』雑感 [読書]

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去年の芥川賞でお笑いコンビ「ピース」の又吉さんの小説「火花」と同時受賞したのがこの小説で、これもいい作品だとは聞いていたのだが、読まずにいた。今回ドラマ化されると知って録画したのだが、調べるうちにそのことが分かって、前に買っていた雑誌の受賞特集号を探し出して読んでみた。その後でドラマも見たが、大筋では重なっているものの、小説で言わんとしていることとかなりずれがあるように感じられた。小説では現代の老人介護や老人医療のあり方に対してかなり批判的な部分があり、そこがテレビドラマでは描きづらかったのだろうか、と思ったりした。テレビドラマの限界を示しているのかもしれない。映画化されたらどのように作られるのだろうかという期待も生まれた。
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主人公の健斗(28)は、勤務していたカーディーラーの会社に嫌気がさして仕事を辞め、行政書士資格試験に向けての勉強をしながら就職活動をしているが、企業の中途採用試験には落ち続け、挫折感を感じながら無為に日々を送っている。4歳年下の彼女亜美とラブホテルに行って、性欲を発散させていたが、それも惰性的な関係でしかなかった。
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健斗は東京の郊外のかつての新興住宅地(多摩ニュータウウン?)のマンションに母親と暮らしているが、87歳になる祖父が兄弟中をたらい回しされた挙句転がり込んできている。祖父は要介護の身であるが大きな病気もしておらず、年齢からすれば健康体といっていいが、体が思うようには動かず、「もう死んだほうがよか」という言葉を繰り返している。そんな祖父に辟易としていたが、ある時「生きる希望もなく、毎日ただ天井を見つめている生活を続けるくらいなら、いっそ手厚く介護して早く安らかな尊厳死を迎える手助けをした方が本人の希望に沿っているのではないか」と思い始める…。
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健斗を通して「患者を薬漬けにして弱らせる病院」や「過剰な足し算の介護をして弱らせる介護施設」への批判が語られるのだが、なるほどとうなずける点も少なからずあった。自分も、死期が近くなりそれまでの投薬をほとんどやめたら、逆に体調が回復してきた(一時的ではあったが)例を身近で見たことがあるし、対症療法的に投薬をする医療(西洋医学?)のあり方にはやや懐疑的であったので、腑に落ちた。また施設に入って手厚い介護を受けてどんどん歩く力が弱り、認知症も進んでいく例も見てきたように思う。

日本では特にどんなに先進的な施設でも、あるいは親族の介護でも「やさしくしてあげないと可哀想」的な感情が入ってしまいがちなのかなあとも思う。

そんな健斗は、祖父を「手厚く介護」するために身体を鍛える中で、肉体を痛めつけることによって筋肉が再構築される(スクラップ・アンド・ビルド)という感覚を実感して、自分の中の本能的な「生きる意欲」に気付かされる。一方の祖父も「もう死んだほうがよか」とつぶやく反面、介護施設先で若いヘルパーの女性に性欲を持つ場面や、風呂場で溺れそうになり、助かって健斗に感謝する場面などから、彼にもまだ「生きる意欲」が残っているのだということを見せ付けられたりする。どちらが本当の祖父なのかと揺れ動く健斗であるが、それは誰にも分からないことなのかもしれない。
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若い健斗にも祖父にも、そして「引き算の介護」をして祖父を元気にしようとして、厳しい態度をとっている健斗の母親にも、「死んだほうがよか」と思う瞬間は必ずあるはずで、人間はそのように「希望と絶望」を繰り返して生きていく生き物なのだ、ということなのかもしれない。ともすれば暗くなりがちなテーマを、ユーモアのある筆致でうまく描いてあるし、現代日本の社会の持つ様々な問題点がちりばめられていて、すばらしい作品になっていると感じた。

「スクラップ・アンド・ビルド」という語は「老朽化して非効率な工場設備や行政機構を廃棄・廃止して、新しい生産施設・行政機構におきかえることによって、生産設備・行政機構の集中化、効率化などを実現すること。」(wiki)とある。私は「一つのものを修理しながら大切に使うのではなく、壊れたらどんどん新しいものを購入させる現代産業のやり方」のようなものだと受け止めていたが、そう大きくはずれてもいないだろうと今でも思っている。この小説での使われ方も「破壊と再構築を繰り返して再生する」という前向きな意味(ドラマではそちらに力点が置かれていたようだ)もあるだろうが、同時に「破壊と再構築を繰り返すだけの不毛な現代」への批判もあるのではないか、と思ったことだよ。
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小説『ジニのパズル』雑感 [読書]

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少し前、芥川賞を受賞した小説『コンビニ人間』を読んだが、その選評で受賞作に劣らぬ高評価を得た作品、と書いてあったので読んでみることにした。芥川賞候補になる前に第59回群像新人文学賞を受賞したようなので、図書館で「群像」の6月号を借りてきた。バックナンバーが借りられるというのはいいね。

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作者の崔実(チェシル)さんは在日韓国人3世で現在30歳の美しい女性である。小説の主人公パク・ジニとはかなりの度合いで作者自身とシンクロしていると思われるが、それは横に置いておいて主人公の足跡をたどっておこう。ジニは小学校時代はエスカレーター式の日本語学校に通っていた。その頃のことをこう言っている。「この日本で在日韓国人として生まれ、日本の学校に入学した日から、必然的に二つの選択肢を迫られるようになる…。それは『誰よりも先に大人になるか、それとも他の子供のように暴れまわるか。』」だと。彼女は前者を選んだが、それでも学年が進むにつれ、いわれなき侮蔑の言葉を級友から浴びせられるようになる。

中学生になり、彼女は既定路線のように、あるいはそれまでの生活から逃れるように、朝鮮学校に入学する。だが、朝鮮語も喋れない彼女にとって、そこは更なる異世界でしかなかった。授業や級友たちの対応に違和感しか感じられずますます孤立化していくジニだが、中でもどうしようもなく違和感を感じずにいられなかったのは、教室の前に飾られている二人の北朝鮮指導者の肖像画だった。

彼女の祖父は、ずいぶん前に日本を捨てて北朝鮮に渡っていく。時々送られる祖父からの手紙は、彼がかの地で幸せに暮らしていると書かれてあったが、実情はそれとはかけ離れたものであったことが容易に推察できた。北朝鮮への帰還運動1950年代から1980年代にかけ行なわれ、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」などと宣伝し、在日朝鮮人とその家族の多くを永住帰国・移住させた。だがそれは真っ赤な嘘で、帰国者たちは強制労働の末ボロボロになって死んでいった、というのは私たちにも切れ切れに情報が伝わってくる。そういった情報を朝鮮学校の内部からの目で紹介した部分は、それだけでも私たちには衝撃的だろうと思われる。

当初の目論見とは大きく乖離した北朝鮮の現状と、そこから目をそむけているとしか見えない大人たち(朝鮮学校の?)の中にあって、彼女は次第に追い詰められ、北朝鮮によるテポドンの発射とそれに伴う彼女や級友たちが受けた仕打ちの数々に、ついに爆発する。「革命家の卵」として…。

その後の彼女は自分の起こした事件のために学校を追われ、ハワイへそしてアメリカ本土のオレゴンの学校へと転校(留学)を余儀なくされるが、どこに行っても彼女の安住の地はなかった。周囲の世界と相容れないという認識しか持てないという意味では、先に読んだ『コンビニ人間』の主人公と似ているといえなくもない。置かれている状況はまったく異なるのだが。ある種の鋭い感性が周囲の世界に直面すると同じような化学反応をしてしまうということなのだろうか。

「空が今にも落ちて来そう」としか思えないでいる彼女も、オレゴンのホームステイ先のステファニーとのやり取りの中で救われたのだろうか。ただ、彼女の起こしたささやかな<革命>が、そして「世界中に埋もれている少数派の人達」の一人として作者が書いたこの小説が、混沌としつつまた爆発寸前のようにも思えるこの世界に、一つの風穴を開けたのかもしれないとは思う。選評では、「素晴らしい才能がドラゴンのように出現した!」(辻原登)と絶賛されているが、確かにそうだと思う。文体の揺れとか若干あってもそれを凌駕する圧倒的な筆力である。次回作が楽しみであるが、一方で、このような作品を書いてしまったら次が大変だなあ、と余計な心配をしてしまうのであったよ。

ジニのパズル


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小説『コンビニ人間』雑感 [読書]

小説『コンビニ人間』
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家人が居間で何か読んでいるので、北欧方面の旅の本かと思って(近々娘と行く予定なので)覘いてみると、芥川賞受賞作の載っている雑誌だった。単行本で買うより安いもんなw   読後感を聞くと、「まあ最後まで飽きさせずに読ませる作品だったかな」というので、借りて読んでみた。

今回の芥川賞についてはTVやネットでも見ていなかったので、村田沙耶香さんの書いたこの小説のことは全く知らなかった。何かコンビニの持つ様々な問題、例えばフード・ロスの問題とか、食品添加物の問題などについて書かれているのかな、と思いつつ読んでいくと、そうでもなかった。作者自身がコンビニで長くアルバイトをしているからか、お店の中やバックヤードの描写は精緻なものであった。コンビニやそれに類する業界の持つ、高度に効率化を求めるシステムのなかで生きる、という設定を通して、社会(特に現代日本の社会)のあり方を問うというものなのかな、と漠然と思った。設定はファスト・フード店でもいいし、大型電器店やブラック企業でもよかったのかもしれない。
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主人公の恵子は幼少の頃から、自分がこうだと思ったことが周囲の常識から遠く離れている、という体験を繰り返す。例えば公園で死んでいる小鳥を見て、「持って帰って焼き鳥にしよう」と言うのだが、母や周囲の人々に「かわいそうだから土の中に埋めて弔ってあげましょう」と言われて、納得できないまま従わされる、というように。社会の常識では「焼き鳥にする鳥」と「公園で可憐に飛んでいる小鳥」は違う、と考えるのだが、見ようによってはこの違いはあくまでその「社会」が決めた<擬制>にすぎないのかもしれないのだ。

これは極端な例かもしれないが、私たちも成長していく過程の中で多かれ少なかれ、「そうじゃないだろう」と思うことが周囲の常識とかけ離れていても、周囲の考えに押し切られるように自分の考えを押し殺してしまうという体験を繰り返しながら、いつの間にか<大人>になっていく、という体験をしているのだと思う。ところが主人公の少女の場合は、その<世間の常識>との乖離を埋められないまま成長してゆき、いつの間にか自分の感情(考え)を表に出さないようになっていく。そんな彼女が大学生のときに出会ったのが「コンビニ」だった。
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コンビニのマニュアルは、効率よく仕入れ効率よく売る、という要素以外になんら余計な判断をする余地のない、完璧にシステム化されたものだった。そのマニュアルに沿って行動する限り、彼女は<常識>との乖離に悩む必要がない。彼女は初めてこの世に存在する意味を見出した。ところが30代になってもコンビニのアルバイトを続けている彼女を世間の目は<異物>としてしか見ない。きちんと正社員になり、結婚し、子供を生み育てるのが正しい生き方なのだ、というように。
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困った彼女と、たまたま出会った出来損ないのアルバイト店員白羽(彼もある意味世間からはじき出された存在としては彼女と同類といえるかもしれない)との間でとんでもない展開になるのだが、それは読んでのお楽しみ…。

ある意味奇想天外な二人の主人公たちが<世間>と対峙する構図の中で、<世間>の内包する<日本的ムラ社会>というものが浮き彫りになってくる。最も近代的な組織と考えられている会社や学校、政党etc. の中に根強く残っていて、本人たちも気がつかないうちにその<既得権益>にしがみついてしまっている…。

とここまで書いていると、教師時代に何度も教えてきた丸山真男の『「である」ことと「する」こと』(『日本の思想』所収)で批判していることそのものだ、という気持ちになってくる。この小説は戦後70年経っても少しも変わらないどころか、ますます隘路に入り込んでもがいている「この国」の哀しい現状に一石を投じたものだといえなくもない…かな。
コンビニ人間



日本の思想 (岩波新書)


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小説『わたしを離さないで』雑感 [読書]

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小説『わたしを離さないで』原題:" Never Let Me Go " )の作者カズオ・イシグロは両親とも日本人だが、本人は5歳のとき父親の仕事の関係でイギリスに移り住み、そのまま在住し、英国国籍もとっているから、ほとんど日系イギリス人といっていいのだろう。彼の短編集は以前読んだことがある。この小説は日本語訳が出てすぐのころ、「読んだら図書館にでも寄贈して」といっていただいたのを、ずっと読まずにいたもので、今回日本でドラマ化されるというので急ぎ読むことにしたw

2010年にイギリスで映画化されたらしい。これもまだ観ていないので、また観なくちゃね。読んだから言うのではないが、この小説に関しては原作を先に読んだほうがいいような気がする。かくいうこの記事も後半はネタばれにならざるを得ないので、真ん中から後は読後に読んで欲しい気もするが(笑)。
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物語は30代と思われる主人公キャシーが「介護人」という仕事を10年あまりやっていて、「そろそろこの仕事もやめ時かな」とつぶやく場面から始まる。「介護人」って看護師さんのようなもの?、そんなに早く引退するのはなぜ?などと疑問をはさみながら読んでいくと、話はいつしか回想場面になり、彼女が幼少時から入っていた施設「ヘールシャム」での生活ぶりが語られる。どういう施設なのか、教官にあたる「保護官」とか「展覧会」に出展するための絵画や詩などを作る創作活動が盛んだとか、「提供者」という言葉が語られるが、その内容は半分ベールに覆われたまま物語は進み、施設での10年ぐらいの期間の中で次第に明らかにされていく、という展開である。

そのあたりがややもどかしいのと、イギリス文学独特の言い回し(翻訳ではそれが更に強調されているような気がする)もあってやや冗長な感じもすることが多かった。少年・少女の会話にもこんなウィットを重んじたり、韜晦じみた言い回しをするのかなあ、と日本の小説とは異なる部分に慣れるのに時間がかかった。でもそれらの表現によるデリケートな心のやりとりや、やたらとボディタッチでコミュニケーションをとるところなど、文化の違いも感じられて興味深かった。
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文中に出てくる" Never Let Me Go " という歌は実際にあって下にyoutubeのものをあげておく。歌詞の中の "Baby " を少女キャシーが「恋人」でなく「赤ちゃん」と勘違いするところが、物語展開のミソなのだが、最後の場面にもオーバーラップしていく気がする。

Judy Bridgewater - Never Let Me Go
https://www.youtube.com/watch?v=4UX6tzE7P44

<ここからネタばれ>
この小説はクローン人間を題材にした科学(医学)SF小説で、「アルジャーノン」にある意味似ているところがあった。ここでのクローン人間は普通の人間に「臓器提供」をするためだけに造られた存在で、何度かの「提供」を終えると「使命」が終わった=死を迎えるということらしい(はっきりとは書いていないが)。映画ではもっとはっきり描写しているらしいんだけど。また、彼らはセックスしても子供はできないように造られているらしいので、カップルになったり行きずりのセックスはするが、その先に未来はない。

いくつかある彼らを収容する施設の中で、「ヘールシャム」は上に書いたように、「人間らしい」感性や教養を身につけさせようとしていたようだが、金銭的な理由や政治的な理由でやがて閉鎖になる運命になるという流れで、現実の世界に収斂されていく。彼らが「未来のない生き方」を強いられる中でなおかつ「人間らしい生き方」を希求する様は悲しくもいじらしいのだが、そこから逆に「人間とは」「人間らしさとは」が問いかけられているのかな、とも思う。彼らがクローンとして直面している問題は、そのまま現代社会における人間存在が直面している問題だ、と作者は言いたいのかもしれない。あるいは、科学が神の領域にまで踏み込んでいいのか、という警告も含まれているのかな。 " Never Let Me Go " とは私たち人類をそんなところまで行かせないで、という意味にもとれるかもしれない。

日本のドラマがどういう解釈をしているのかこれから観てみようと思ったことだ(第一話は録画してまだ観ていないのだw)。あ、蜷川幸雄演出の舞台も14年にあったそうだが、youtubeとかで観れるのかな?

※画像は映画のものです。


わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)


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小説『ゴールデンスランバー』雑感 [読書]

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伊坂幸太郎の作品は図書館にいた頃お客さんのリクエストで『陽気なギャングが地球を回す』や『重力ピエロ』など購入していた。2008年 本屋大賞をとった『ゴールデンスランバー』も当然購入していたが、いずれも読まずじまいで現在に至っていたww

ちなみにあまり多読ではない私だが、本屋大賞受賞作品だけはたいがい読んでいた。本好きな一般読者の代表である本屋さんが選ぶものにはそれなりの何かがある、と思うからだ。そういう意味ではかの『火花』の作者が芥川賞をとったとき、某キャスターが「芥川賞と本屋大賞の区別がなくなった云々」のコメントを発したのには少し驚いた。直木賞だったらそうは言わなかったのかねえ。

本作は作品のなかでも言及されているように、63年にテキサス州ダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディと暗殺犯とされたオズワルドのことが下敷きになっているのかな、と思われる。舞台は首相公選制が存在する現代という架空の設定であり、若くして首相になった金田貞義の仙台での凱旋パレードのさなか、ラジコンヘリを使って爆殺されるという2015年を先取りするような事件で始まる。

現代日本の政治状況について切り込むような内容かな、と思って読むと、そこはエンターテインメント、あまり深く立ち入ることはしないが、犯人に仕立て上げられる主人公青柳雅春やその関係者たちが、総合監視システム「セキュリティポッド」によって追跡されるという、「監視社会」のありようは、「マイナンバー制」が我々の社会にもたらすものを暗示していて興味深い。

主人公は自分を理不尽に陥れようとする真犯人側(巨大な権力の闇?)に対して強く憤るのだが、結局無力な一個人に出来ることは「逃げて逃げて逃げまくる」ということ以外にはない…。彼を支えるものは「人間の最大の武器は、信頼と習慣だ。」という旧友森田森吾の言葉だけであった…。
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話の序盤からあらゆるところに伏線を張り巡らし、最後にそれらが一つに収斂する、というのが作者の小説の特徴らしく、この小説でも十分に発揮されているが、この作品では最後に全てを明らかにするのではなく、不分明な部分を敢えて残す、というスタイルに変わってきているらしい。それが逆に小説に深みを与えていると言えなくもない。まあ、国家的な権力構造や裏社会まで明らかにするのも、フィクションとはいえ難しいのだろうけどw
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題名の「ゴールデンスランバー」はビートルズの最後のアルバム「アビー・ロード」のB面にあるメドレー曲である。アルバムの中では目立たない、さらっと聞き流す感じで聞いていたが、ばらばらになったメンバーの切れ切れの演奏のピースをポールが独りでスタジオでつないでいたものだったと知った。ポールも「失われた絆」を再び紡いで一つにしたいと考えていたのかな、と思うと、ちょっと切なくなった(「20世紀の歌」の " LONG AND WINDING ROAD " も参照)。

なお、この作品は2010年に映画化されているらしく、キャストを見るとなかなか読んでいるときのイメージに近い人たちで興味深かったが、ショットガンをぶっ放す警官小鳩沢役は 永島敏行よりむしろ ピエール瀧に演じてもらいたかったな、と思ったことだよ。またレンタルでもして観てみようと思った。


ゴールデンスランバー (新潮文庫)


Abbey Road


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小説『向日葵の咲かない夏』(道尾秀介)雑感 [読書]

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この小説は図書館にいた時見たような気がしていたが、違っていたかもしれない。読む前は少年が主人公の、ひと夏の体験を描いた青春小説かな、と思っていた。詠み始めてみると、少年が主人公ではあったが、残虐なシーンの多いホラーミステリーとでも呼ぶべきものだった。この手の小説はあまり読んだことがなかったので、得がたい体験をしたとは思った。

輪廻転生の思想に基づく「生まれ変わり」というのは中島敦の『山月記』やカフカの『変身』などがある(カフカは転生思想はないかも)が、どちらもそういう設定を通して近代人の心の中に潜む「病理」のようなものが描かれていたように思う。この小説ではむしろ事件の真実を最後まで隠すトリックの一つとして使われているような気がする。初めは自殺(他殺かも)した旧友のS君が蜘蛛に変身してミチオの前に現れるのだが、変身していたのはS君だけではなかった…。
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作中では三件の殺人(自殺かもというのと殺人とはいえないかもというのを含む)と十件あまりの犬・猫の虐殺が出てくるが、どこまでが現実に起こったことで、どこまでがミチオの幻想なのかが、やや不分明である。ただ物語の展開は緻密で、いたるところに伏線が張ってあり、首尾一貫させる筆力は並外れたものがある。少し前に読んだ二作にはどこか習作めいた部分が垣間見られたものだが、この作品には無駄な描写が一切ないように見えたのも、この人の作家としての資質が非常に高いことを表しているように思われた。

謎解きがメインのようにも思えたので、登場人物たちが抱えている問題については、やや掘り下げが浅いような気もした。いじめの問題を抱えているS君、ロリータ趣味的な性的倒錯に陥っている担任教師など、現代社会の暗部をとり上げていながら、それを深めようという意図はあまり感じられなかった。ただ、主人公が蜘蛛になったS君を殺そうとするとき、自分の中に潜んでいた「残酷な気持ち」に驚く場面があり、そこだけが妙にリアルだった。

この小説は、やはりホラー・ミステリーの体裁をとりながら、どの人間の中にも潜む病理=心の闇をミチオの幻想を通して描こうとしたのかなとも思った。別の作品を読んでみないとそれは分からないのかもしれない。いずれにしても、この酷暑に読むと3℃くらい体感気温が下がる小説であったことだよww


向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)


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小説「火花」雑感 [読書]

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お笑いコンビ「ピース」の又吉さんの小説「火花」が芥川賞を受賞した、というので読んでみた。2月に『文學界』に掲載されてからずっと話題にはなっていたのだが、『文藝春秋』の九月特別号に受賞作が両方載るのでそれまで待ったのであったよww

これまで「ピース」の漫才はほとんど観たことがなく、せいぜい相方の綾部さんの「熟女好き」的な話題をネット上で散見しただけであった(そっちかいw )。その後TVのインタビューなどを見て、そのお笑いらしからぬ語り口や、芥川や太宰の愛読者であるということから興味を持った。というか「芥川・太宰が大好きなお笑い芸人って?」と違和感を感じたのが正直なところだ。
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ところが実際読み始めてみると、抑制された文体で情景描写や登場人物の重層的な心理を丹念に描写しているのに驚いた。たとえばこんな一節だ。「(先輩芸人の純真さを)僕は憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛するのである。」芥川をよく読んでいるのが分かるような気がした。

主人公徳永は売れない芸人で、熱海で偶然出会った先輩芸人神谷に心酔し、それぞれの芸術観(「笑い」とは、生き方とは等)を互いにぶつけ合いながら、芸人生活を送っていく。神谷は天才肌で直観的に演じるのが芸人だ、と客を含めた周囲に迎合しないので、上手くいかない。一方徳永は内省的で神谷を尊敬しながらも付いていけない自分にジレンマを感じているように描かれている。一応筆者に近いのが徳永なのだろうが、筆者の中の「理想」と「現実」を<ドラマ>にしているように思われる。

この小説を読んでから、ネットで彼らの漫才をいくつか観てみたが、他の多くの漫才と<笑い>の質が異なるような気がした。うまく言えないが、日常の中にある「違和感」とか「意外性」の中に<笑い>の要素を見出そうとしているかのような。それは彼らだけのことではないのかもしれないが、特にお笑い芸人としての優れた資質はあまり持ってないようにも思える(失礼!)又吉さんの云わば「内省的なギャグ」みたいなものかもしれないと思った。

彼は小さい頃からお笑い芸人になりたいと思っていたそうであるが、それは関西に住んでいてたまたま一番身近にあったからそう思ったのであって、小説や映画のような他の表現方法でも大成したのではないかと思われた。今後の作品がどうなるかも興味深いが、漫才における笑いの質がどうなるかも見てみたい、と強く思ったことだよ。

最後に、芥川の「或る阿呆の一生」に、架空線上の火花を見た作者が「彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄すさまじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。」とあるが、又吉さんが捕まえたかったのもこの「火花」だったのかな?

※冒頭の写真は「熱海海上花火大会」のHPより転載させていただきました。


火花


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小説『火車』(宮部みゆき)雑感 [読書]

2011年にもテレビドラマ化されたらしい。
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宮部みゆきさんの作品は読んだことがなかったので、何か読もうと思って調べてみると、1992年の「火車」がお薦めランキングのトップに出たので、読んでみることにした。全一巻と手ごろな長さというのもあったかな。彼女の小説は長いものが多いのでww

題名の「火車」は仏教用語で「生前、悪事を犯した亡者をのせて地獄に運ぶとされる、火が燃えている車のこと。」と辞書にはあり、小説の扉の裏にも同じ意味のことが書き付けてある。作品のテーマが「カード破産」や「サラ金」に追い立てられて失踪したり自殺に追いこまれる、といった社会現象を扱っており、「火の車」「自転車操業」などのイメージを込めているのだろう。
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当時はバブルがはじけて、銀行が「貸し渋り」をし出して、多くの中小企業が倒産に追い込まれた時代でもあった。私の身近にもそういう例があったのをよく覚えている。バブルの頃は担保等がちゃんとしてなくても、どんどん融資してくれたのに、手のひらを返したように貸し渋り、切り捨てていく。メガバンクは国税で助けられるのに…、と一種の理不尽さも当時は感じた。

もちろんカードローン破産にしても不渡り倒産した企業も、当人たちにも非があるのだろうが、構造的にそうした悲劇を引き起こしてしまう部分があったことは否めない。その後の空白の20年の間にどれだけ改革されたのだろうか。

物語にはそんな「多重債務」に追い詰められた二人の女性が登場する。一人は追い詰められた結果弁護士に相談して「破産宣告」をし、何とか再生しようとする。もう一人はどこまでも「追い立てられる」ことに疲れ、「別の人間」なることで再生しようとする。それぞれの結果は…、というふうに展開していく。
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また、作者がキーワードの一つとして使っている語に「転轍機」というのがある。元々は鉄道用語で、レールごと機関車の向きを変えるポイントを指すものらしい。ちなみに「火車」の画像をネットで検索すると中国のものらしい(赤い)列車の画像がたくさん出てくるので、調べると中国語では汽車を指すという。「転轍器」でなく「転轍機」と表記すると、人生の方向を大きく転換する結節点というような意味を帯びてくる。

「幸せになりたいと思っただけなのに」キャッシングを重ねて、いつの間にか取り返しのつかない泥沼に入り込んでいく。普通の人の一見平凡な暮らしの奥に潜む「陥穽」=「転轍機」が作者の一番語りたかった部分かも知れない。

この小説は2008年に「このミステリーがすごい!」ベスト・オブ・ベスト第1位(20年間の)に選ばれたので、もはやミステリーの古典的名作といえるのかもしれない。他の作品も読んでみたいと思ったことだよ。


火車 (新潮文庫)


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「本能寺の変 431年目の真実」雑感 [読書]

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半年前に「信長の首」という小説を読んだとき、実は標題の本を探していたと書いた。2ヶ月前に書店で見つけ購入したのだが、なんやかんやで読まずにいた(読書好きとは到底言えないなw )。読み出してみると面白くて、寝る前の読書として数日で読んでしまった。
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筆者は明智光秀の末裔であるということで、歴史上の<悪人>という定説になってしまっているご先祖光秀の汚名を晴らしたいという一念がこの書を書かせた原動力だったのだろうか。「太平記」の足利尊氏や、「忠臣蔵」の吉良上野介など、歴史上の悪人とされている人物たちは、いずれも対立する存在(南朝であったり赤穂義士であったり)を正当化するために不当に貶められていることが多い。歴史は常に勝者によって書き換えられるものだということなのであろう(「忠臣蔵」は民衆の思いによってというべきかもしれないが)。後世の人間がそれを<定説>として受け止めているとしたら、歴史家の責任は非常に重いと言わなければならないだろう。

「本能寺の変 」はそんな中でも最もミステリアスな事件なので、過去にも怨恨説や野望説・謀反説など諸説入り乱れているが、やはり「太閤記」(吉川英治や司馬遼太郎の小説も含む)やそれを基にした大河ドラマによるイメージが強く、同情を交えながらも<悪人「光秀」>という捉え方から抜け出せないでいる。
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ネタばれになるのであまり書けないが、筆者はそれらの誤った光秀観の元になったのは、羽柴秀吉が本能寺の変の4ヵ月後に家臣の大村由己に書かせた「惟任退治記」だという。秀吉が自らの天下取りを正当化するために敢えて光秀及び信長を否定的に描いてみせた、というのが「歴史捜査」家を自任している筆者の考えだ。そして今まであまり資料としてとり上げられなかったフロイスなどのイエズス会宣教師たちの証言や、家康の家臣や長宗我部の日記や文書、公家たちの日記の改竄などの資料を基に従来の説の誤りを暴いていく。

その辺りまではまことに痛快な論破ぶりであったが、さて真説を展開していく段になると、ややもすると想像に頼ってしまうきらいがあるのは否めない(もちろん資料で補強してはあるが)。近年になって長宗我部元親が、光秀の重臣斎藤利三に送った手紙が見つかったりしているので、筆者の説に対するより客観的な批評も出てくるであろうと思われるのでそれを待ちたい。資料を精査してさまざまな従来の説を論破している部分だけでも十分面白いのでぜひ読んでみると良いと思う。
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最後に、逆臣光秀の家臣斎藤利三の娘が何故家康に取り立てられ、「春日の局」として大奥で権勢をふるうようになったのかが、どうしても理解できなかったが、この書を読んで少し腑に落ちたことであったよ。家光が彼女の子だというのはにわかに首肯できかねるものがあったけどww

【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)


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小説『海辺のカフカ』雑感 [読書]

カフカとはチェコ語で「カラス」の意だとか。
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法事帰省した時持っていって上巻を読み、帰ってから下巻を読了した。『1Q84』を読んだのも去年の夏の帰省中だったような。じっくり読むためにはネット環境の遮断が必要らしいww

春樹さんの愛読者というわけでもなかったので、読む順番もめちゃくちゃで、振り返ると『ねじまき~』『ノルウェイの森』『1Q84』と読んできたことになる。『1Q84』の感想で「二人の人物の手記が交互に出てくる構成」と書いたが、それは85年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に端を発するようだ。順番に読んでいたら『1Q84』でもそれほど驚かなかったかもw

本作品でも15歳の主人公「僕」の手記の章と、戦争末期に疎開先で集団催眠にかかり、あちらの世界に知能などの半分を残したまま中年になっている「ナカタさん」の章が交互に語られ、別々の物語が一つに収斂するという構成をとっている。二つの物語は「入り口の石」というパラレルワールドの入り口を共有していることでつながっている(佐伯さんの物語とも)が、そのつながりは『1Q84』の青豆と天吾ほどの必然性が感じられない。2作の間には7年という期間があるので、やはり新作の方が進歩しているということなのかな。
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例によってちゃんとした分析は出来ないので、印象に残ったことをひとつ。おおまかに言うと、主人公「僕」は15歳の、聡明であるが周囲から孤立した存在として描かれている。父親から「「母と交わり父を殺し、姉とも交わる」という呪い(ギリシャ悲劇からとった?)をかけられ、自立のための家出の旅の中で、その呪いを実際に体験(あるいはメタファーとして体験)しながら大人になっていく物語なのだが、高松の私立図書館の司書大島さんの指示で、高知の山奥の森の中の小屋に暮らし、森の奥に分け入って別の世界の入り口を見つけ、入っていく場面がある。この「森」の描写がなかなか秀逸で、大したものではないがここ一年山歩きをしている体験とも重ねて興味深く読むことができた。先日観た映画「あん」のある場面とも重ねられ、面白かった。深い森のなかには、何かしら想像力をかきたてるものがあるなあ、と思ったことだよ。

この小説は、それぞれの章を無理につなげなくても、部分部分を読み味わってもいいのかなとも思われるのだが、やはり作者の体験に裏付けられたと思われる描写は精彩を放っている。

今回は図書館の場面、ロードスターやワーゲンという車の描写などにそれを感じたが、やはりもっとも思い入れが強いのは音楽だろうな。以下いくつか挙げておく。
1 大島さんが車の中で聴いているシューベルトの『ピアノソナタ第17番ニ長調』。彼の生き方・考え方とリンクする部分があるので併せて聴くのがよいと思う。
2 トラック運ちゃんの星野さんがナカタさんについて高松まで同行し、偶然入った喫茶店で聞く大公トリオによるベートーベンのピアノ協奏曲。星野さんは本作の中で最も親しみを感じる青年だが、彼がこの曲と出会うのには少々無理を感じるなあ。トリュフォーの映画『大人は判ってくれない』を観るのもそうだけど。まあ、作者の中には「必然性」があるのだろうね。
3 主人公がMDウォークマンで70年代のロックやジャズを聴くのだが、中でもロバート・ジョンソンの「クロスロード」 (クリームの演奏)は、彼が置かれた閉塞的な状況を表しているので是非聴くべきと思う。( 本ブログの「 20世紀の歌」でも紹介しているのでこちらも是非ww )
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とりとめのない感想になってしまったが、他にも、『源氏物語』や『雨月物語』(生き霊)の引用など、そこだけ読んでも興味深い記述が多いので、あまり全体で何を主張しているのか、などと考えずに「メタファー」として読めばいいのかな、というのがとりあえずの感想であろうか。ふふ。

海辺のカフカ 全2巻 完結セット (新潮文庫)


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小説「アルジャーノンに花束を」雑感 [読書]

小説「アルジャーノンに花束を」作:ダニエル・キイス 訳:小尾芙佐
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この小説は、「20世紀の歌」の「ソング・オブ・バーナデット」でも、この小説をもとにした02年のTVドラマの主題歌だったと紹介したが、今回またリメイクされているので原作を読んでみようと思った。前回のドラマも観なかったし、今回も録画はしたが原作を読んでから観るかどうか決めようと思ったのだった。

小説はダニエル・キイスによって59年に中編小説が、66年に長編小説として改作されたものである(日本語訳は78年)から、古典的名作SF小説である。SFということにやや驚くが、知能指数を高める手術というのが現代ではまだ可能ではない、という点でそうなのであろう。

主人公チャーリイの手術前(IQ68)の手記の文章が、原作の表現を上手く翻訳しているということだが、訳者の小尾芙佐さんは「チャーリイと同じ特性を持つ画家の山下清の放浪日記の文章を参考にして翻訳した」という(by wiki)がなかなか見事な訳だと思う。このチャーリイの手記にリアリティ(あくまでも読者が感じるリアリティだが)を感じるかどうかがこの小説の<みそ>だろうと思われるので重要である。

この手記の中にはチャーリイの二つの意識が垣間見られる。一つは、周囲の人々が皆自分に好意的で、自分を友達として接してくれるというもの。もう一つは、実は周囲の人々は自分を馬鹿にしていじめている。自分はそのことに恐怖して「窓」からそれを眺めているというものである。彼と周囲との関係の二面性を表しているのだろうが、これをTVドラマでうまく表現できるのだろうか、というのがドラマのほうを観るのをためらわせるところだ。ドラマの反響も二つに分かれているらしいが、ポイントはそこかな、と思う。

IQ68の時もIQ185の時も変わらずチャーリイの本質である<無垢>を見抜いて接していたのが、精神遅滞者専門の学習クラスの教師、アリス・キニアンだけだったといっていい。そこにこの物語の唯一の救いがあるといえるのかもしれない。パン屋の人々は彼を親身に世話していた側面もあるが、彼を軽蔑しいじめて遠ざけていたし、彼が天才になって帰って来た時は逆に畏怖して遠ざけてしまった。

近代以降の人類が「知能」だけを求め、「思いやり」などの感情を失っていったこと、自分たちと「異なる」存在はある時は軽蔑し、またある時は畏怖して排除しようとしていることを批判したものだといえるのかな。最後の教授宛ての手紙の「ついしん」として、「うらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください」言っているのは、人間としてではなくモルモット(実験対象)としてしか見てくれなかった人たちへの痛切な告発の言葉でもあったのだろう。

小説とは直接関係ないかもしれないが、チャーリイの脳が再び退化して、一時は読めた論文が読めなくなったり、記憶がどんどん失われていく場面は、アルツハイマーになってどんどん自分じゃなくなっていく体験と重ねて読んでしまうなあ、というのがもう一つの感想である。

「バーナデット」の歌がなぜ主題歌になったのだろうと前に考えたが、どちらも,「見返りを求めず,愛を与え続ける人」であるが、周囲には理解されないでいる、という点で共通する部分があるのかな、と思うことができ、腑に落ちたのはよかったことだよ。



アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)


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小説『悪意』東野圭吾 [読書]

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東野圭吾さんの小説は図書館勤め?をしていたとき何冊か入れたのだが、例によって自分では読まずに過ぎてしまった。とりあえず何か読んでみようと手にしたのがこの「悪意」である。文庫本で360頁ほどのものを一晩で読んでしまったので、「続きが読みたくなる」小説ではある。

この小説は、人気作家日高邦彦が自宅兼仕事場で殺される、という事件を刑事加賀恭一郎が解明していくお話なのであるが、第一発見者である野々口修の手記と加賀の手記が交互に展開し、他の人たちの供述がそれに絡み、登場人物たちの関係も「藪の中」の事件の真実も次第に明らかになっていくという構成で、前に読んだ「1Q84」とその点では似ているか。

初めのころは殺人のトリックに重点が置かれているようじ感じ、これではちょっと面白くないかな、と思っているとそれを裏切る新たな展開が出てくるという具合で、どんでん返しの連続。そこが「読ませる」ところなのだろうな、とは思う。そして犯人が誰、というよりは動機は何、という点に重点が移り、登場人物たちの過去が明らかになっていく…。その基底にあるのが人間の心の奥に潜む「悪意」という感情だ。

ついひと月前に、川崎で少年がカッターナイフで惨殺されるという痛ましい事件があったが、仲間に引き入れた少年のことをいつか「気に食わない」者と感じるようになり、いじめているうちにエスカレートしていって…、という心の流れに通底するものがこの小説の登場人物たちにもある。どこが悪いというわけでもないのに、その人物に対して「悪感情」が生まれる。その原因はちょっとした「行き違い」であったり、漠然とした「羨望」であったりするのだが、理由がはっきりしないので逆にその感情は消えず、「悪意」として心の中に飼い太らせていく…。子供の社会でも大人の社会にも厳然と存在する「いじめ」や「~ハラスメント」の奥底にある「悪意」の在りようを作者は描きたかったのかな、と思う。

ミステリーとしてはやや「仕掛け」が見え隠れするきらいがあるが、力点が「悪意」の在りようにあると思って読むと、なかなか考えさせられる小説であったことだよ。ちなみにこの小説は2001年にNHKドラマ化されていたようだ。知らなかった。月9ってたいがい寝ていたもんなあww


悪意 (講談社文庫)


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小説「信長の首」 [読書]

小説「信長の首」
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図書館でふと題名に惹かれて借りてみた。明智光秀の子孫が本能寺の変の「新説」を書いたというのでそれを探していたのだが、それはまたいずれ読んでみようと思っている。

この本はそれほど評判になったわけでもなさそうで、amazon で調べても13年にでた文庫版がすでに絶版だった。作者の秋月達郎という人も知らなかったが、時代小説からミステリーファンタジー・架空戦史小説まで幅広く書いている人らしい。この本でも4つの小品が収められているが、いずれも歴史上の人物を取り上げながらかなり空想を働かせて書いているようだ。

表題作の「信長の首」も、発見されていないとされる信長の首の行方をテーマとしたもので、「真相」を期待した分にはちょっと拍子抜けの感もあった。他にも出雲阿国と名古屋山三郎との関係(いずれも歌舞伎の祖といわれている)を描いたものなど、伝説の域を出ないだろうと思われるが、面白く読めた。雑誌宝石」などに掲載されたものであるためか、やたらと「濡れ場」が多いのも特徴といえるのかなww
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一番興味深く読めたのは、荒木村重と信長の関係を描いた「村重好み」であった。前に「散策」で書いた伊丹の「有岡城」の主であった村重がなぜ信長に叛旗を翻したのか、については諸説あるが、ここでは「茶器」と「有岡城」が原因であるという見立てである。

信長が酒をたしなまなかったために茶道にのめりこんだ、というのは本当かどうかはわからないが、そういう些細なことが発端で「茶文化」にまで至るというのはなかなか面白い。それはともかく、茶道・茶器に関しても第一人者を自認している信長に対して、これまた茶道に関しては一家言持っている村重が、つい「自己主張」してしまったのが、二人の齟齬を生んでしまったというのだ。

信長という人は相当気難しい人物のようだが、秀吉などは他の平伏しまくっている家臣達とは違って、上手に持ち上げながらも言いたいことは言う、というように上手くやっているように見える(あくまで小説の上でのことかもしれないが)。村重も取り立てられた時は非常に気に入られていたのだろうが、「茶器」に関しては主従関係の「分」を少し超えてしまったのだろうか。

「有岡城」も「安土城」より先に「天守閣」や「総構え」という革新的なことをしてしまったために、信長の勘気を蒙ったということである。村重は信長の「勘気」を恐れていたという説も多いのだが、それでもなお「勘気」を蒙るような言動をしてしまったのか。少しタイミングが違えば「おぬしなかなかやるな」という良好な関係にもなったような気もするし、村重のほうにも弟子が師匠に「甘える」ような気分が出ていたのかもしれない。いずれにしても人間関係の「機微」は難しいものだな、とこの年になっても考えさせられた小説であった。

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小説「氷雪の殺人」 [読書]

利尻富士
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内田康夫の小説はひと頃よく読んだ。テレビの浅見光彦シリーズを見てたからというのもあっただろうが、「旅情ミステリー作家」とも言われるように、事件とその地域の土地柄や歴史が絡んだ形で書かれているので、そこに行った後もしくはこれから行こうとする所が描かれたものを読んだ気がする。それならいっそ「浅見光彦のミステリー紀行」を読んだほうが早い、という気もするのだが。

「氷雪の殺人」は図書館でたまたま見つけたので借りてみたのだが、舞台となっている北海道の礼文・利尻島は作者が全国を廻った最後の土地だったと文庫版のあとがきに書いてあった。北海道には何度か行ったが、利尻島には行ったことがない。故郷隠岐と同じくバフンウニの産地だということもあり、美しい利尻富士も見てみたいと思っていたが、この小説を読んでますます行きたくなった。これがこの人の小説の最も魅力を感じるところであるが、推理小説の本筋からははずれているのかな。

小説のあらすじは、通信機器会社のエンジニアの男が利尻富士の5合目あたりで凍死し、自殺と断定されたが、実はそうではないのではないか、ということで、我らが浅見光彦が推理をしていく、というパターンなのだが、その背景にある軍需産業や防衛庁(当時)との関係や、執筆した98年に飛来した北朝鮮のテポドンのことなどがタイムリーに取り上げられており、大戦直後の樺太(サハリン)へのソ連軍の侵攻と、その後のロシアとの関係の変化などと併せて、奥深い作品になっていると思う。

中・韓との関係悪化や、沖縄辺野古の基地移転問題、改憲の論議などで揺れている今の日本を考える上で、私のような浅学な者にも戦後の日本の歩みについて考えさせてくれるものであった。また、利尻島に防衛のためのレーダーサイトを建設する計画があったという設定になっていて、計画が決定した後でその不備がわかったのに、一旦予算化されたものはなんとかして執行しようとする、という愚挙をあえて行なってしまうという、日本的官僚制のあり方に疑義を挟んでいるくだりなど、興味深く読んだ。私の属していた教育現場でさえ、そういったことは強く感じてきたから。

作者は文庫版あとがきの中でこう書いている。「戦後、日本人が喪った最大のものは『覚悟』ではなかっただろうか。」「『有事』のときに和戦いずれを選ぶかも、その結果への覚悟がなければ、国防を論じる資格はない。」この言葉に込められた意味について、じっくり考えてみたいと思った。


氷雪の殺人 (角川文庫)


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小説『1Q84』雑感 [読書]

小説『1Q84』雑感

お盆の帰省中暇だろうと思って、文庫で出ていたBook1を買って持っていった。退職してから暇になったはずなのに、机の前に座っているとPCがあり、ネットサーフィンをしたり、ブログを書いたり、TVを見たり、音楽を聴いたり、最近はギターも弾いたり、とけっこう時間が過ぎていく。旅に出ても次に行くところを考えたり、飲み屋に行ったり、とせわしなかったりする。本当にのんびりした日々を送りたいものではある。

ところが、読み出すとはまってしまって、関西に帰ってからもBook2・3と購入して一気に読んでしまった。おかげで寝る時間がどんどん遅くなって、リハビリに苦労している。そういう意味ではベストセラーになる小説なんだな、と納得させられる。小説の進行が「天吾」「青豆」という二人の主人公の視点で書かれた章が交互に出てきて、二人の関係が少しずつ明らかになっていくという、一種ミステリーじみた構成になっているのも、次を読みたい、と思わせる要因なのだろう。優れたエンターテインメントだも言える。80年代に世間を騒がせた<オウム>などをモデルとした新興宗教も出て来、パラレルワールドも重要な舞台設定になっている。新興宗教というと高橋和巳が66年に書いた『邪宗門』が<大本教>を扱っていて、当時衝撃を受けたのを思い出す。そして高橋和巳が、その後歴史の中に埋没してしまったかのような状況にあることにも、何か不可解な思いがぬぐえない。再評価される日は来るのだろうか、村上春樹のこの小説もいつか時代の中に埋没してしまうのだろうか。それともノーベル賞(候補)作家として、その評価はゆるぎないものになるのだろうか。

多くの人がレビューを書いているので、自分なりに気になったところを一つ二つ書き留めておく。
月が二つ見えるのは「もう一つの世界」にいる証のようだが彼らに共通するもの=1Q84の世界を見れる資質のようなものがあるのだろうか。天吾も青豆も幼少時に親と決別し(もしくは捨てられ)、<孤独>と向き合って生きている。周囲と協調しながらも決してもたれあっていない。天吾は年上の彼女と、青豆は行きずりの中年男とそれぞれ濃密な情事を重ねるが決してそれに溺れてはいない。この小説は性描写が過激だとも言われているようだが、そんな感じを受けないのはこの二人のそんな感性のあり方によるのかも知れないし、作者の全て観念のフィルターを通したかのような表現のせいかもしれない。二人が小学四年の時以来互いを思いあっているという<純愛>のせいかもしれない。では牛河は?二人と全く異なるように見える彼こそが、実は幼少時から結婚離婚を経て現在に至るまで常に<孤独>を強いられ、それと向き合わざるを得ない人生を送ってきたともいえる。そして「ふかえり」にカメラのレンズを通して射すくめられた時、「愛するべき誰か」を持つことを知ったのかもしれない。

宗教について、作者が無宗教かどうかは分からないが、完全な唯物論者ではないように思える。ふかえりの父親は「さきがけ」という新興宗教の教祖であるが、それはモデルになったものとは似て非なる形として描かれている。が、その宗教が作者の考えるユートピアのようなものを形づくるようには描かれてないように思う。そこが「邪宗門」と大きく違う点かもしれない。むしろ小説の中で引用された、ユングの「冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる。」という言葉に作者の宗教的なものに対するシンパシーのようなものが感じられる。

一度通読しただけなので、この程度の感想にしかならないが、純愛小説としてはともかく色々な村上春樹を見ることが出来るので是非読むとよいと思う。「ねじ巻き~」を読んだとき、漱石の後期の作品に似たところがあるな、と感じたが今もそれは変わらない。

最後に作中に出てくる音楽を。登場人物が皆作者と同じ音楽的嗜好を持っているのは、仕方ないこととはいえ、ちょっと笑っちゃうが。

①ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』 青豆と天吾の結びつき、そして1Q84の世界へ誘う曲として暗示的である。ヤナーチェクは晩年年下の人妻と恋に落ち、純愛を貫いたそうだが、小説に引用されたことと何か関係があるのだろうか。youtubeにいくつか出ている、その一つ。
https://www.youtube.com/watch?v=iuT_Czhu-2E

②『1Q84』は「バッハの平均律クラビーア曲集のフォーマットに則って、長調と短調、青豆と天吾の話を交互に書こう」として書かれた、というインタビュー記事があった。

Louis Armstrong Plays W.C. Handy のアルバム及び Atlanta Blues (Make Me One Pallet On Your Floor) という曲。作中では天吾の年上の彼女が好きな曲として引用されていた。 Barney Bigard (clarinet)の絶妙なバックアップを絶賛していた。
https://www.youtube.com/watch?v=uPEVmBOfiC8&list=PLC3EB23552CEB511A
Make Me One Pallet On Your Floorはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=Z38o98t4VJo
ちなみにこの曲はC.G.というブルーグラスバンドもやっている。昔演ったなww
https://www.youtube.com/watch?v=28wgk9WdJ5Y

1Q84 BOOK 1


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